「それでもやりたい」のは何故なのか

こんにちは,cosmobloomエンジニアの折居です.

博士後期課程を送る学生の中には,会社の仕事やプロジェクトなどをこなしながら,さらに自身の研究をも進めなければならず,押しつぶされそうになりながら生活している,そのような様な方も沢山居るのではないかと思います.

私の場合,最近は学術論文を書いているのですが,この「書く」という行為はとにかく辛く,原稿が埋まるまでとにかくやるしかなくて,理論に破綻が無いように書き進めなければならないことはもちろん,文法やフォーマットなど守らなければならないルールにも注意を払う必要があり.途中で何回も手が止まります.

そのたびに頭を動かし,また手を動かして…という形で少しずつ原稿が埋まっていくのですが,他にもやらなければならない沢山のことがある中で,どうしたってモチベーションは下がっていきます.

しかし,それでも,私の中には「どうしてもこの論文だけは書き上げたいという」気持ちがあります.それは,いまこの瞬間,この世界で自分にしか論じることのできない問題が存在し,この問題について論文を書くということが「論文を書くということ以上の価値」を持つと信じているからです.

私の研究分野である大型膜面アンテナの場合,これまで提案されてきた膜面アンテナの中には,軽量構造の分野を諦めてしまっているコンセプトや,逆にアンテナの分野を諦めてしまっているコンセプトが存在します.私は,この様な消極的なコンセプトが生まれてしまう背景に,軽量構造力学とアンテナ工学が十分に「混ざり合っていない」ことがあると考えています.つまり,軽量構造力学とアンテナ工学の学際領域に,「軽量構造アンテナ工学」とも言うべき学問を創り,この学問の中で大型膜面アンテナというものを議論すべきなのではないかと考えています.

この新しい学問は,軽量構造力学の分野に居る技術者がアンテナ工学を勉強すること,あるいはアンテナ工学の分野に居る技術者が軽量構造力学を勉強することによってしか深まらないので,自由に勉強することを許されている博士課程の学生,すなわち自分の様な者にこそ,この学問を究める資質があると考えます.

また,膜面アンテナの設計を通じて見えてくるのは,1枚の膜面上に機械的要素と電気的要素が高度に融合されると,もはや設計パラメータを切り分けることはできず,すべてのパラメータが「何一つ自分たちの都合だけでは決められないもの」になっているということです.これをどの様に設計していくべきか,知恵を絞って方法論を見つけていく行為は「高度に複雑化したこの世界をどう生きるか」ということのメタファーの様にも見えます.

畳んでしまえば一辺たかだか10cmの立方体に収まる構造物の中に,この世界をとりまく問題が集約される,私が対峙しているのは一枚の膜面の様で,この世界そのものであり,「論文を書く」という行為は,とても小さい問題に対して解決方法を提示しているだけの様で,その先にある世界に何かひとつ,希望を見つけられるようなものになっているのではないか,そのように考えています.

最後に,これからこの論文読む人たちにとって,この論文が,それに夢を見たり,何かこの世界に希望見つけたりすることができるような物語になっていれば良いなと思います.

技術顧問

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